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東京高等裁判所 昭和50年(行ス)13号 決定

抗告人(原告) 宗教法人 浄久寺

相手方(被告) 長野県収用委員会

主文

本件抗告をいずれも棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告代理人は、「原決定を取り消す。長野地方裁判所昭和四九年(行ウ)第一四号裁決取消請求事件につき予備的請求に関して被告を相手方から日本道路公団に変更することを許可する。」旨の裁判を求めた。その理由として主張するところは、別紙第一、第二、第三記載のとおりであつて、要するに、「(一)抗告人は、原告として本件本案訴訟の当初から本件収用裁決において正当な補償のなされていないことを主張し、損失補償に対する不服を申し立てている。(二)抗告人は、本案訴訟において原告として請求の趣旨変更の申立をしたのであつて、別訴を提起して本訴との併合許可を申し立てたのではないのに、口頭弁論を経ることなく変更申立を却下したのは違法である。(三)主位的請求として土地収用裁決取消請求をし、主観的予備的に、損失補償請求をしても後者において被告とされる起業者の地位が特段に不安定不利益であるわけではなく、また統一的裁判の保障がないという非難もあたらないから、かかる訴訟形式も許されると解すべきであり、最高裁昭和四三年三月八日判決は本件のような特殊の場合に適切でない。本件予備的請求は損失補償請求の出訴期間経過後に訴の追加的併合としてなされたものであるがその適法であることは最高裁昭和三七年二月二二日判決によつても明らかである。」というに帰着する。

記録によれば、本件本案訴訟につき抗告人は、原告として自ら訴状を作成して訴を提起し、その後に至つて弁護士を訴訟代理人に選任し、請求の趣旨の訂正及び被告の変更を申し立てたものであるが、前記訴状の記載によると、当初の請求の趣旨は、被告とされた相手方が訴状添付物件目録記載の土地につき昭和四九年一〇月一一日なした権利取得裁決及び明渡裁決の取消を求めるというのであり、請求の原因として、右取消の対象となる本件収用裁決がなされた旨、及び右裁決は本件収用土地等が宗教法人である原告に固有のものであるのにこの権利を故意に否認してなされ信教の自由を侵害する違法なものである旨主張しているのであつて、右記載によれば右請求は裁決取消請求を超えるものでないことが認められる。もつとも、右訴状請求原因二(1)の記載によれば、抗告人は、「正当な補償について審理するには、当該対象物件について精査し、実体を正格(ママ)に判定することがその前提条件でなければならない。」と主張し、一見損失額の認定につき不服を述べているようにみえるが、同請求原因一ないし三全体の記載を記録中の本件土地収用事件についての相手方作成裁決書と対照し通観して仔細に検討するとそうではなく、かえつて、土地所有者である抗告人が起業者である日本道路公団によつて起業地とされた本件寺有地は宗教法人法三条に規定するかけがえのない抗告人固有の境内地であつて非経済的特殊土地であり、適正な補償は不可能であると主張したのに対し、相手方はその裁決において土地所有者に対する損失補償につき抗告人の主張するような特殊価値等は考慮を要しない旨説示したので、抗告人としては具体的な損失補償金額を主張するものではなく、信教の自由を保障する違法にも抵触する境内地の破壊削減を前提とする補償審議には応じないとの立場を述べたものに過ぎないと認むべきであつて、前記鍵括弧内引用の記載をもつて抗告人が原告として当初から損失・補償の請求又は正当な補償のないことの主張をしていたものとみることはできない。さすれば、本件請求の趣旨につき訂正という方法で当初は存在しなかつた損失補償請求を追加することは許されず、右請求の趣旨の訂正が許されることを前提として抗告人主張のように被告を変更することも抗告人が故意又は重大な過失によらないで被告を誤つたとはいえないから、許すことができず、いずれにせよ抗告人の主位的申立を却下した原決定は違法でない。

次に、抗告人はその請求の趣旨変更の申立は新訴につき併合許可を申し立てたのではなく、関連請求に係る訴を追加的に提起しただけであるという。そして、記録によれば、昭和五〇年六月二五日原審第六回準備手続期日において、抗告人は、仮に被告変更の申立が認められないとしても、新たな訴を併合して提起する趣旨であると述べ、さらに、抗告人は、本件予備的請求は損失補償請求の出訴期間経過後になされたものであるがその適法であることは最高裁昭和三七年三月二二日判決に照らしても明らかであると主張する。よつて判断するのに、土地収用法によれば損失補償を請求する訴は、収用委員会の裁決書の正本の送達を受けた日から三月以内に提起しなければならないところ(同法一三三条一項)、記録によれば、抗告人が相手方の裁決書の送達を受けたのは昭和四九年一〇月一二日であり、抗告人が原告として昭和五〇年四月二三日付請求の趣旨変更申立書により予備的に損失補償請求をしたのは同日であることが認められるから、右を新訴の提起と認めた場合には、出訴期間経過後の訴の提起であるといわなければならない。ところで、抗告人の引用する最高裁昭和三七年二月二二日判決(民集一六巻二号三七五頁)にあらわれた買収計画取消請求と買収対価増額請求とのように、いずれも実質上当事者が国である場合宅地買収計画取消請求の訴において買収対価の不当が違法事由の一として主張されているときには予備的請求としての買収対価増額の訴は、出訴期間経過後に提起されたものであつても、本位的請求が出訴期間内になされているときは出訴期間遵守の点においては欠くるところがないと解すべきであるけれども、本件のように国の機関である収用委員会を被告とする収用裁決取消訴訟に予備的に国とは独立の権利主体である日本道路公団を被告とする損失補償の訴を追加する場合には収用裁決取消訴訟の被告と損害補償訴訟のそれとは実質的にも同一でなく、実質的に国と同視すべき相手方と起業者であれば私人であつてもされる被告にたまたまされているに過ぎない日本道路公団とは形式的にも実質的にも権利主体性を異にするから、本件損失補償訴訟につき期間遵守の効力を認めるべきではないと解するのが相当である。従つて抗告人の引用する前記最高裁判決は、前叙のような本件訴訟の事案については適切でないといわなければならない。さすれば、本件損失補償請求の訴は出訴期間を経過し不適法であること明らかであり、追加的請求として併合されることにより適法となるものでないから、主観的予備的請求の許否の判断をするまでもなく裁決取消請求との併合要件を欠くものであり、そのことを明らかにする趣旨で抗告人の予備的申立を却下するとした原決定に違法はない。また原決定が抗告人の訴の変更の当否についての裁判をしたものではないことが明らかであるから口頭弁論を経ることなくなされたから違法であるとの非難も当らない。そして、記録を精査しても原決定には他にこれを取り消すべき違法の点は見当らない。

よつて、本件抗告はいずれも理由がないから、これを棄却すべく、抗告費用は抗告人に負担させて主文のとおり決定する。

(裁判官 吉岡進 園部秀信 太田豊)

別紙第一 抗告の理由

一 原審決定は、抗告人の被告変更許可の申立を却下する理由として、本件(長野地方裁判所昭和四九年(行ウ)第一四号裁決取消請求事件―以下同じ)訴状の請求原因「二の(1)において、原告は『正当な補償について審理するには、当該対象物件について精査し、実体を正格に判定することがその前提要件でなければならない』と述べ、損失の認定につき不服を述べていることがうかがわれるけれども」と認定しながら、単に数額を示していないことと、裁決に対する不服には、裁決取消訴訟と損失補償請求の二種が存するとの形式的理由のみで、本件訴訟には損失補償の請求を包含していないと判断したのは、明らかに誤りである。

二 すなわち、原告は本件訴状の請求原因二項(I)において、裁決内容のうちの損失補償額について、本件収用裁決が「正当な補償」をしていないことを主張しているのであつて、まさに損失の補償に関して申し立てているのである。原告が、そこで引用した意見書も、裁決が損失補償に関して「主観的な感情価値」とか「特殊価値」などと述べていることに対する反論であつて、収用裁決に伴う補償金額を争う意思が表明されていることは明らかである。

更に、対価に対する不服、損失補償に対する不服は、単に補償の額又は方法に関する不服のみならず、「補償の原因たる損失の認定に関する不服をも包含する」(法律学全集、公用負担法(新版)柳瀬良幹二二六頁)ものであつて、前記訴状請求原因二(I)において「正当な補償について審理するには、当該対象物件について精査し、実体を正格に判定することがその前提要件でなければならない」と主張したのも、この補償の原因たる損失の認定につき、収用委員会のなした認定の誤りを起因とする対価に対する不服を述べたものなのである。

原告は、既に、昭和四四年二月一五日付陳情書において「地形上取付道路の関連もあつて、境内全面的に伽藍配置替に伴う用地造成物件移転の必要を生じております」との意見を持つていたものであるところ、本件収用裁決においては、こうした用地造成物件移転の補償の原因たる損失の認定を誤つたもの(特に本堂および墓地などの移転費等についての損失補償の欠如)であるから、前記の通り不服の中心をここにおいて記載したものに外ならない。

これによつても具体的対価増額の主張を云々することが意味をなさないこと明らかである。

三 原告は、前記予備的請求を別訴として提起したのではなく、本件訴訟において追加的に請求の趣旨変更の申立をなしたのに過ぎない。このような場合には、そもそも係属している訴訟および弁論は一個であつて共通しているのであるから、併合の問題は起らない筈である。同一訴訟手続において、予備的請求を追加的になした結果、その訴訟が客観的予備的併合になる場合でも、主観的予備的併合になる場合でも右の理は異らない。

しかるに原審は、原告のなした前記請求の趣旨変更の申立を、追加的併合許可の申立と扱つて、その許可を却下する旨の決定をなしていることは、訴訟手続に違背しているものといわねばならない。

また、もし原決定が原告の予備的訴そのものを不適法として却下する趣旨であるならば、それは判決をもつてなすべきであるから、決定をもつて裁判することができない事項について決定をなしたことになり違法であつて取消を免れない。

四 原決定は、主観的予備的併合が不適法であることは最判昭和四三年三月八日の示すところであり、行政事件訴訟においてもその例外でないと断定する。しかし、行政事件訴訟の中には、形式的には法主体を異にしても実質的同一性を有する場合その他行政事件としての種々の特質が存するのであり、したがつてかかる特殊性の存する行政事件訴訟については主観的予備的請求を認めた判決およびそれを前提とする判例も存するのである(最判昭和三七年二月二二日民集一六巻二号三七五頁、松江地判昭和四五年三月二五日行裁例集二一巻三号六〇三頁、広島地判昭和四九年一二月一七日判例時報七二〇号五〇頁等)。この点について何らの検討もなさずに単純に本件行政訴訟において主観的予備的併合を許さずとした原審の判断は誤りである。

三 よつて、申立の趣旨記載の裁判を求める。

別紙第二 抗告理由第一補充書

一 原審決定は、原告の日本道路公団を被告とする損失補償請求に対しては、「民事訴訟において訴えの主観的予備的併合が不適法であることは最高裁判所の判例の示すところであり、行政事件訴訟においてもその例外ではなく同様に不適法として許されないものと思料する」との理由によつてこれを却下した。

しかるに、右理由はまことにお粗末という以外にない。何故ならば、原審は、単に「行政訴訟事件においてもその例外ではなく」と述べるのみで、特段行政訴訟事件の特質、なかんずく、土地収用における収用裁決取消請求と損失補償請求の関係の特殊性、あるいは右両訴訟における被告の「実質的同一性」の問題についても、何らの検討をも加えていないからである。

そこで、原告は以下原審での主張を整理しつつ、改めて右の点につき検討を加え、原審決定の誤りであることを明らかにするものである。

二 土地収用裁決取消請求を第一次的、損失補償請求を第二次的とする主観的予備的併合における特殊性の検討

1 最高裁判所昭和四三年三月八日判決は、一般の民事訴訟事件につき訴えの主観的併合は不適法であると判示している。そして、訴えの主観的予備的併合を不適法であるとする理由は、原告にとつては訴訟経済にかない、極めて便宜ではあるが、予備的請求の被告にとつては応訴上の地位の不安定と不利益を強いられることとなり、民事訴訟の基本理念である当事者公平の原則に反することにあるとしている。しかしながら、本件のように土地収用裁決取消請求を第一次的、損失補償金増額請求を第二次的とする主観的予備的併合については、一般の民事訴訟事件における主観的予備的併合の場合とは異なる特殊な事情が存するのであつて、その特殊の事情を検討したうえで、その許否を決すべきものである。

ところで、土地収用法一三三条は、収用委員会の裁決のうち損失の補償に関する不服については裁決に対する訴えとは別個の訴えによるべきものとし、しかもその訴えの当事者を土地所有者(又は関係人)と起業者としている。これは、損失補償に関する事項も裁決の内容の一部である以上、本来ならば裁決に対する不服としてその取消しを求めて収用委員会を相手に抗告訴訟を提起すべきところを損失補償に関する事項が私益的なものである点に着眼し、補償金を払渡すべき起業者とこれを受領すべき土地所有者との間で直接争わせることとしたものである。従つて、右損失補償に関する訴えはその本質においては抗告訴訟であり、損失補償金増額請求訴訟において被告となるべき起業者の地位は裁決取消請求訴訟の被告となるべき収用委員会のそれと同一基盤に立つものであるといわなければならない。

次に、収用裁決取消請求と損失補償金増額請求との関係をみるに、後者は収用裁決が適法であることを当然に前提とするものであるから、両請求は理論上相排斥する関係にあつて同時に両立し得ず、前者が第一次的、後者が第二次的となるべきものである。そこで、かりに、後者を予備的とする訴えの併合が許されないとすれば、土地所有者としては、まず収用裁決取消請求の訴えを提起し、その敗訴が確定したのち、損失補償金増額請求の訴えを提起するのが順序であるが、損失補償金増額請求の訴えの出訴期間は裁決書の正本の送達を受けた日から三月以内と定められている(土地収用法一三三条一項)ので、通常の場合収用裁決取消請求訴訟の判決が確定したときにはすでに右出訴期間が徒過していて、もはや損失補償金増額請求の訴えは提起できなくなつているはずである。右出訴期間を遵守しようとすれば、土地所有者としては一方で収用裁決取消請求の訴えを提起し、その結果を待たずに他方で別訴により損失補償金増額請求の訴えを提起しておかなければならないことになる。

これは、憲法第二九条でその所有権を保償された土地所有者が、同条三項によつて、公共のために用いるに際して、「本来ならば裁決に対する不服としてその取消しを求めて収用委員会を相手に抗告訴訟として提起すべきところ」であるのを、土地収用法第一三三条によつて特別に当事者を特殊に変更されている結果である。

しかるに、土地収用において、第一次的に裁決のうち、収用そのものに対して不服があり、尚かつ、第二次的に裁決中の損失補償に関しても不服を有する者は、本来であるならば裁決に対する不服として、被告を収用委員会として一個の訴を以て、その不服の理由の有無が判断されるべきところ、主観的予備的併合を認めない場合には土地収用法の右規定によつて、たとい収用裁決に取消しうべき瑕疵があつても収用裁決取消訴訟において敗訴する場合を慮つて、他にその訴訟における主張と矛盾した主張を前提とした損失補償請求訴訟を提起しておくことが必要となり、結果的には無用な訴訟の提起を強いたことになる場合を生ずるのであつて、土地所有者の権利実現という観点からは、不当な不利益を負担せられることとなるのである。

従つて、右立法により、土地所有者において負担している不利益との衡平の観点よりして、土地収用法第一三三条による起業者は、主観的予備的併合より来る「応訴上の不安定不利益」を認受すべき立場に立たされているものといわねばならないのである。

2 ところで、収用裁決取消請求を第一次的、損失補償請求を第二次的とする主観的予備的併合訴訟における場合と両請求が同時に別訴として訴訟になつた場合とで、損失補償請求の被告である起業者の地位の不安定不利益に差異があるかどうかを考えるに、主観的予備的併合訴訟の場合、第二次被告の起業者は訴訟の当初から訴訟に関与しなければならないにもかかわらず、第一次の収用裁決取消請求が認容されれば、自己に対する損失補償請求については判決を求めることができず、また収用裁決取消請求の認容判決が確定すれば、自己に対する右請求につき同意なくして訴訟係属を消滅させられることになりその地位が不安定不利益である(しかし、右請求の再訴を提起されるおそれはない)ことは否定できないが、しかしながら別訴による場合でも損失補償請求訴訟の被告(起業者)の地位が不安定不利益であることは同様である。すなわち、損失補償請求訴訟の被告としては、収用裁決取消請求訴訟とは別訴なのであるから、その訴訟進行と関係なく、自己の訴訟につき審理を進め判決を求めることができ、先に判決が確定することもあり得るが、収用裁決取消請求訴訟の認容判決が確定すれば、かりに自己の訴訟につき判決が確定していたとしても、それはまつたく無意味な判決となり、又判決確定前であれば、その後の訴訟続行は全く不必要となるのであり、その地位が不安定不利益であることは、前記主観的予備的併合訴訟の場合において判決が得られず又同意なくして訴訟係属を消滅させられることとの間に実質的な差異はないのである。

そうだとすれば、前記主観的予備的併合訴訟における第二次被告たる起業者の地位の不安定不利益は、かかる訴訟形式をとることによつて特に生ずるものというよりは、むしろ前記のとおり損失補償請求が収用裁決取消請求に対し第二次的関係にあること及びその出訴期間が制限されていることに由来するものであり、右被告の地位の不安定不利益をもつて前記主観的予備的併合を認め得ない理由とすることはできないといわなければならない。

3 なお、主観的予備的併合を不適法とする説は、一般には右併合を認めた場合には、訴訟終了まで併合関係を維持することによつて得られる複数の被告との間での統一的裁判の保障がないということをもその理由の一としている。

前記最判昭和四三・三・八は、右理由は特段あげていないが、最高裁判例解説昭和四三年度民事編上巻(栗山忍)は、「否定説の根拠とする他の理由、すなわち統一的裁判の保障の存しないことをもその理由とすることを、少なくとも排斥する趣旨ではないと解せられる」(二九七頁)と解説している。

しかし、収用裁決取消請求と損失補償請求との主観的予備的併合については、右否定説のあげる非難は、以下に検討する如くあたらないというべきである。

右主観的予備的併合を認めても、被告両者相互間に参加的効力を認めるなどの立場をとらない以上、第一審において第一次の収用裁決取消請求認容の判決がなされ、これにつき上訴がなされた場合、第二次の損失補償請求訴訟が移審しないため、併合関係を維持できないことになるが、この場合にも事実上第一次請求の判決が確定するまで審理を続行しないことにより(その結果第二次請求の被告の受ける地位の不安定不利益が当初から別訴によつた場合のそれと実質的に差異がないことは前述のとおりである)、前記裁判の矛盾抵触を避けることができるのであり、また、第一審において第一次請求棄却、第二次請求認容又は棄却の判決がなされ、第二次請求の判決についてのみ上訴がなされ、第一次請求の判決が確定した場合にも併合関係は消滅するが、この場合上訴において第二次請求の勝訴がどうであれ、第一次請求の確定判決と矛盾抵触する結果が生ずることは考えられない(第二次請求は第一次請求棄却が前提となるだけで、第一次請求棄却の場合には第二次請求が認容されなければならないという関係にないからである。この点で複数被告のうちいずれか一人に対して勝訴の機会を確保しようとする一般民事訴訟事件における主観的予備的併合の場合とは異なる)。従つて、訴訟終了まで併合関係を維持することによつて得られる複数の被告との間での統一的裁判の保障がないという非難は、右収用裁決取消請求と損失補償請求との主観的予備的併合についてはあたらないというべきである。

4 以上検討した通り、損失補償請求は本来収用裁決の内容の一部に対する不服であり、収用裁決取消請求に対しては第二次的関係にあること、損失補償請求訴訟の被告である起業者と収用裁決取消訴訟の被告である収用委員会の各地位が同一基盤に立つものであること、損失補償請求訴訟の出訴期間が収用裁決取消請求訴訟のそれとほぼ同一期間に制限されていることなどを併せ考えると、土地所有者が収用裁決取消と損失補償請求を共に訴訟上請求しようとする場合には、両請求につき別々に訴えを提起させるよりも、損失補償請求を第二次的とする主観的予備的併合の訴えを提起させることの方が、審理の重複を避け、かつ、不必要な審理をしないですむ点で訴訟経済にかない、また収用裁決取消判決と損失補償判決の併存という裁判の矛盾抵触を避けることができ、さらに同一収用裁決に関する紛争をできるかぎり一挙に解決したいであろう土地所有者の意思にも合致することになるのであり、主観的予備的併合を認める必要ないし実益は少なくないのであり、他方このような併合を認めても第二次請求の被告である起業者に対し当事者公平の原則に反するほどの犠牲を強いるものではないから、かかる訴訟形式も許され適法であると解するのが相当である。

従つて、最判昭和四三・三・八は、一般の民事訴訟事件についてはともかく、本件のような収用裁決取消請求と損失補償請求を求める場合については、少なくとも先例としての価値を有しないものというべきであつて、原審がこの点を検討せずに右最判を引用するのみで原告の申立を却下したのは違法であるといわねばならない。

最判昭和四三・三・八以後において、主観的予備的併合を認めたものは既に幾つか存するのであつて、そのうち特に松江地判昭和四五年三月二五日(行裁例集二一巻三号六〇三頁)及び広島地判昭和四九年一二月一七日(判例時報七九〇号五〇頁)は、いずれも土地収用における裁決取消請求と損失補償請求につき、主観的予備的併合を認めたもので本件と全く同様の事案に関する点で高く評価されるべきものであり、それは結局最判昭和三七年二月二二日(民集一六巻二号三七五頁)が「農業委員会を被告とする買収計画取消請求と、国を被告とする買収対価増額請求とを、予備的関係において併合することを認めることを前提とするもの」(前掲最判栗山解説三〇一頁注七)であることの同一線上に位置する判例として考えられなければならないといわねばならない。従つて、昭和三七年の右最高裁判例は、なるほど原審決定や栗山解説の言うように「主観的予備的併合の許否についての先例としての価値を有しないとみるべきではあろう」が、そこで言う「先例としての価値」なるものは一般的にあらゆる訴訟についての先例価値を有するわけではない、という限りのものであつて本件のごとき同種の事案についての先例価値まで否定することはできないはずのものである。原審決定は、事案の内容につきこの点の検討を怠つたとの非難は逸れない。

三 本件における第一次請求、第二次請求の各被告の「実質的同一性」について

1 前記のごとく、最判昭和三七・二・二二は、農業委員会を被告とする買収計画取消請求と、国を被告とする買収対価増額請求とに関して、主観的予備的併合を認めることを前提として、出訴期間経過後の予備的請求の訴を適法とした。

これに対し、前掲最判栗山解説は、「両請求の被告は形式的にはともかく実質的には同一であるとみるべきであろうから」併合を認めたものだと述べている。

原審決定は、主観的予備的併合は「行政事件訴訟においてもその例外ではない」と判断して、本件につき、第一次請求の被告長野県収用委員会と第二次請求の被告日本道路公団の「実質的同一性」については判断を加えていない(もつとも、原審決定は「被告両名は法人格が異なりこれを同一視することができない」と述べているが、この部分は、「実質的同一性」につき述べたものではなく、客観的予備的併合ではないことについて述べたもので、結局「実質的同一性」については検討を加えていないのである。)。

原告は、前記二において検討したように、土地収用における裁決取消請求と損失補償請求という本件の如き事案については主観的予備的併合を認めるのが相当であると解するものである。が、前掲最判栗山解説が前記のように「実質的同一性」につき若干触れておくこととする。(尚、前掲松江地判及び広島地判は、栗山解説後のものであるが、特段「実質的同一性」の問題に触れずに肯定の結論を出していることには注意する必要があろう。)

2 「実質的同一性」に関しては、原審における原告準備書面IIIの第二の三において、既に詳細に検討しておいたので、ここでもそれを全面的に援用しておくが、尚次の点を再度強調するものである。

即ち、本件予備的請求の被告である日本道路公団は、本来国の事業である国土開発幹線自動車道等の国道新設、改築事業等のうちいわゆる有料道路に関する事業を行うことを目的とする国家の分身たる特殊公法人である(同公団法第一条)。同公団は、いわゆる国策によつてその事業遂行上の便宜のために国とは別個独立の法主体とされたのであつて、その実質において国の機関たることには何らの疑いもないものである。例えば、昭和四四年参議院建設委員会において、吉国内閣法制局次長は、憲法二〇条三項に関する答弁の中で「例えば道路公団のような国の機関がそのような行事を行つても云々」と道路公団を国の機関であるとの実質上の理解の下に答弁を行つているのである。そして、前記準備書面IIIにおいても述べた如く、この公団の国家の分身たる性格は「法律上明確」であり、その「実質的同一性の存否の判断も、法令の規定上、恒常的に同一性が肯認される」ものなのである。

その上、もう一点強調しておくべきは、本件国道が「有料道路」である故に、起業者は公団であつたが、本件国道が一般の(無料の)国道であつたならば、起業者は国に外ならないということである。国道が「有料」か「無料」か、起業者が公団か国かによつて、国民の権利救済を区々にすることは許されないことは明らかである。

3 以上の次第であるから、前掲最判栗山解説の如く、「実質的同一性」なる概念をもつて、前記判例の先例価値に仮え絞りをかけるとしても、本件は尚主観的予備的併合を肯定すべき事案に外ならない。

四 出訴期間経過後の予備的請求の訴の適法性について、本件予備的請求は、損失補償請求の出訴期間(土地収用法一三三条)経過後に、訴の追加的併合としてなされたものであるが、この問題については、原審も認める通り前掲最判昭和三七・二・二二が控訴審における予備請求の訴についてまでその適法なることをつとに判示しているところである。

別紙第三

第一訴状は損失補償請求を包含する。

一 原審での抗告人(原告)の主張等

本件(長野地方裁判所昭和四九年(行ウ)第一四号)訴訟には損失補償の請求が包含されているものであることは、抗告状抗告の理由二で述べたとおりであるが、なおこの点に関して本件訴訟における抗告人(原告)昭和五〇年六月二五日付準備書面IIの二および同昭和五〇年一〇月四日付準備書面IIIの第四の二、3、第五の一、二を引用する。

二 補償の原因たる損失の認定に関する不服

抗告人(原告)は本件訴状において本件裁決の違法事由として、本件収用土地が原告宗教法人に固有のものであつて裁決が信教の自由を侵害するものであるとしているほか、正当な補償について審理するには当該対象物件について精査し、実体を正確に判定することがその前提要件でなければならない、と述べて補償の原因たる損失の認定に不服である旨を明示しているのである。

それというのも、本件収用裁決は寺院における境内地と伽藍配置等が持つ客観的な価値を全く理解せずになされたものであるからである。

1 浄久寺伽藍、境内地の客観的価値

抗告人(原告)浄久寺は、創立以来約八〇〇年の歴史を有する長野県でも屈指の名刹であり、その境内地、伽藍配置等にも同寺の宗教教義、宗風、伝統、沿革及び周囲の地形的条件から形成された同寺固有のものが存したのであつた。それでは同寺固有の境内地、伽藍配置等とは一体具体的にはどの様な事実を指していたのであろうか。これについては、別紙添付の和解案(要旨)付属の第一図面及び写真〈1〉ないし〈5〉を参照しつつこれを説明するならば、以下の如くなるであろう。

ここに、甲という者が浄久寺に参詣しようとするときには、浄久寺に至る遙か手前の道路上から、小山の中腹の洞に懐かれるようにして配置された本堂や庫裡の甍を木の間に眺めて、まず第一の精神的浄化を受けるであろう。やがて、甲が参道の入口に立つと、彼の参拝に向う心は一層準備されて浄化されることになる。参道はゆるやかな登り勾配をなしていて、途中には数段づつの石段が何ケ所か設けられている。石段を踏みしめるごとに甲の心身は参拝を準備するある厳粛さを感じるのである。そして彼は、左右に搭頭(たつちゆう)跡の境内地を見る位置まで歩みを進める。左方の搭頭福生院跡の境内地には、桜等の木々が植えられ、その中央に放生池が設けられている。放生池とは、仏教における最上の戒律である不殺生戒を教化する実践的方法として設けられた生類を放つ儀式の執行の場であり、池を眺めれば甲は不殺生の心を起し心身は愈々参拝を準備することになる。そして山門境内地を経て、石段に導かれて本尊の安置された本堂前に至るのである。本堂前に立てば、そこは静寂の地である。下界の車の騒音などは聞えてはこない。俗界とは結界された聖域とでも呼ぶべきであろう。甲は静かに合掌し、本尊を礼拝すると住職の説教を聴くのである。浄久寺固有の境内地、伽藍等の配置によつて充分に準備された心には教えも砂地が水を吸い込む如く吸収されて行くのである。

右は、ほんの一例にすぎないが、宗教施設の構成というものは、古来から右と同様の意図を持つて形成されてきた。ところが、本件自動車道が完成することによつて、どの様にこれが変更を余儀なくされたのであろうか。

甲は浄久寺に参詣しようとする。遙か手前の道路からは、高速自動車道ばかりが威容を誇つて見え、自動車騒音が周囲の山と谷間にこだましている。もう、元の参道はどこにも見えず、代つてポツカリと口を開けたコンクリートのトンネルが参道の役目を果しているが、頭上を大型トラツクが行き交う。心が洗われる思いをした放生池は今はもうない。冷たいコンクリートのトンネルを抜けるとそこも自動車道路の路傍である。騒音は一段と耳奥まで響き、精神までも掻き乱されるようである。本堂まで路片からわずかに約二〇メートル余でしかない。合掌礼拝する甲の背後から騒音と排気ガスが容赦なく襲いかかつてくる。静寂な境内はもういつのことであつたか、無性に懐かしく想い出され、自動車道路には腹立たしさが込み上げてくるのである。

右が、今日の浄久寺の現実である。宗教施設は、境内地、伽藍等が全体として一つの目的―信仰―に向けて形成されているのであつて、極論すれば、そこに存する一木一草に至るまで、教化の役を荷なわないものはないよう配置されているのである。

ところが本件収用裁決においては、浄久寺の境内地、伽藍等が固有していたこれら宗教施設としての客観的価値は全く無視されたまま裁決がなされたのであつた。

例えば、本件収用裁決においては、本件道路片からほぼ同一距離(約二〇~二五メートル)に存する本堂ならびに庫裡のうち庫裡のみについて「改造工法により二階建とする」工事費用の補償を認めながら、本堂については何らの補償を認めようとしていない。しかも、そこで重要なことは、参道付替、庫裡改造の工事費用補償については、起業者は、「寺としての従前の機能の回復及び尊厳の維持等を考慮」して、それらの補償が必要であると判断して裁決の申立をしていることである。(本件裁決書、事実1、(7))。これは、この限りにおいて正鵠を得た損失認定の判断基準の一つと言わねばならないが、それにも拘らず、前記の如く被抗告人(被告)長野県収用委員会は、本堂を中心とする伽藍、境内地の大部分を損失と認定せずに、本件裁決をなしたのである。

2 従前の裁判例等

寺院の伽藍、境内地の如く、形式的にはそれぞれ別棟または別施設であるが、全体として一体となつている建物、施設の一部の存する土地のみを収用した事例につき、従前の裁判例等は以下の通り正当な判断を示してきた。

(一) 酒造業者の施設建物に関し、形式的には数棟に分かれている各施設建物につき、距離的な近接性と酒造業の各施設という機能的な一体性に着目し、残地上の施設建物の移転についても相当因果関係を認めたものとして、昭和一〇年三月二日行政裁判所判決(行政裁判所判決録四六輯八三頁)がある。同判決は、「………前記建物は精米場、物置場、店舗及び住宅ノ外玄米置場、麹室、雇人部屋(杜氏ノ部屋)、内井戸、洗場、釜場、槽場等ヲ有スルモノニシテ、右建物ノ屋根ハ………七棟ニ区分セラルルモ互ニ相密着シ不可分ノ一体ヲ為セル建物ト認ムルヲ相当トスル。従テ該建物中本件収用地上ニ在ル部分ヲ移転スルトキハ土地収用法第五一条第一項但書(注・現七七条)ニ所謂物件ノ分割ヲ来シ該建物全部ヲ移転スルニ非レバ従来用ヰタル目的ニ供スルコト能ハザルモノニ該当スト認ムベキカ故ニ該建物内ニ在ル諸物件ニ付テハ其ノ全部ノ移転ヲ補償スベキモノトス」と判示しているのである。

(二) 同種の判例として、昭和一二年七月八日行政裁判所判決(行政裁判所判決録四八輯二四六頁)は、残地にある井戸が収用地にある建物と機能上一体をなし不可分の関係にあることを認め、該井戸の移転料の補償を認めている。

(三) 収用地ではなく、残地上の造作物の変更が問題となつた事案に関し、昭和二年四月一六日行政裁判所判決(行政裁判所判決録三八輯五一一頁)は、その損失補償を認め、「塩田ノ一部ヲ収用シタルタメ残地ノ塩壺ノ排列変ヘヲ要スルトキハ之ニ要スル費用ハ土地収用法五四条(注・現八八条)ニ所謂通常受クヘキ損失ニ外ナラス」と判示している。

(四) 建設省の損失補償基準要綱

公用収用に関し指導的立場にある建設省当局は、「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」(昭和三七年六月一九日閣議決定)二四条(建物等の移転料、土地収用法七七条と同趣旨の規定)の解釈に関し、「『建物等が分割されることによつて従来利用していた目的に供することが困難となる』とは、必ずしも有形的な分割による場合だけではなく、用途上の機能的な分割による場合をも含む。たとえば、事業用地(収用地)上に質屋営業をしているものの店舗兼住家があり、残地に倉庫があつて、一体として営業目的に供されている場合には、店舗兼住家を移転するだけでは従来の利用目的に供することができなくなるので倉庫の移転をも認めるべきである。」と述べているのである。

以上の裁判例等を本件にあてはめてみれば、その結論は明瞭であろう。浄久寺伽藍、境内地は、その参道からその両脇の放生池等乃至本堂に至る全体をもつて固有の宗教施設としての機能的な一体性を有したのであつて、そのうち参道、放生池等を収用しておいて、ほとんど庫裡のみの改造補償を行うにすぎない本件収用裁決が如何に補償の原因たる損失の認定を誤つたものであるかは、特に論ずるまでもないであろう。この場合、機能的一体性を有する建物、施設が、営利目的の事業という機能に向けられた一体性を有する場合と、非営利目的の信仰等に向けられて機能的一体性を有する場合とで、そこに差等があろうはずはない。ところが、被抗告人(被告)県収用委員会は、何を思い違いしたのか、浄久寺という宗教施設のもつ右のような客観的な価値―信仰等に向けられた伽藍、境内地等の機能的一体性―を、「土地所有者がその土地に対する主観的な感情価値及び土地所有者がその土地を特別の用途に用いることを前提として生ずる特殊価値等は考慮を要しないものである。」と、本件とは全く異なる事例に適用すべき理由をもつて、その裁決の理由づけとしているのである。

3 事例的検討と最判の検討

一体、機能的一体性を有する宗教施設の相当部分を収用してそこに高速道路を通しておいて、当該宗教団体は残地のみで可能な範囲の宗教活動を続けてゆけ、などという収用裁決が一般的に妥当するものなのであろうか。それは、否といわねばなるまい。

例えば、奈良の東大寺の大仏殿と南大門の中間に高速道路を造るために土地収用するとして―収用が違法かどうかはこの場合留保して―東大寺の伽藍を、そつくり他に移転する費用の損失補償を認めずして、単に道路部分のみの収用補償ですませた裁決などというものが妥当するであろうか、と考えた場合、その答えは、おのずから明瞭であろう。

原審において、抗告人(原告)準備書面I、第一、一、1、に引用した最高裁判所昭和四九年四月九日のいわゆる富士山頂譲与処分事件判決も、宗教と宗教団体の客観的存在を当然ながら信教自由の見地から認めた上で、更にこれを深く掘り下げて検討を加え、適切な判断を下したのであつた。同判決は、「社寺等の宗教活動を行なうのに必要なもの」として「その宗教目的のために必要な当該社寺等に固有の土地を意味する」との一般的基準を掲げ、更に「その範囲………は、宗教教義、宗風、伝統、慣習等を異にする社寺等によつておのずから差等があることは当然であり、特定の土地がこれに該当するか否かの判断にあたつては、当該土地の性質、形状、所在の地理的条件及びこれを従前境内地としてきた社寺等の上記のような面における特殊性をも無視することはできないのである。」と具体的な判断基準をも掲げ、境内に必要な風致林野とは、「祭典、法要又ハ参詣道ニ必要ナル箇所」や「歴史若クハ古紀社伝等ニ於テ社寺ト密接ノ縁故アル箇所」を含むと解される、と判旨したのであつた。

右判旨は、宗教団体の伽藍、境内地の機能的一体性につき、その掲げる幾つかの判断基準から、客観的に存在する価値として司法上も判断可能なものであることを明瞭に判旨したものであつて、本件収用裁決の言うように、それを「主観的感情価値」などと判断することが誤りであることを先例として明示しているものと言わねばならない。

4 原審の経過

本件においては、抗告人(被告)の主位的請求は勿論であるが、右に触れた幾つかの理由により予備的請求につき審理がなされないならば、憲法で定める信教の自由と幾多の先例は無視された結果となるであろう。

そこで、本件原審における経過につき、ここでは特に触れておく必要があると考えられる。

本件訴訟は、原審において準備手続に付され、昭和四九年一一月九日以来、終始準備手続として継続してきたが、その内容の実質は、以下に述べるごとく、裁判官の訴訟指揮は損失補償請求をめぐる和解接渉に大部分の比重が置かれ、その結果、各当事者とも自然そこに重点を置いて対処してきたのが実情である。しかも、重視しなければならないのは、その準備手続期日には、主位的請求の当事者のみならず、予備的請求の被告である日本道路公団関係者が終始出頭していたことである。その間準備裁判官(受訴裁判所の裁判長および主任裁判官の二名)の勧告と、日本道路公団関係者らの要請により、原告は別紙のごとき「和解案(要旨)」を作成して裁判官に提出した。これに対し、日本道路公団関係者らは右和解案四項、五項は了承したが、その余の項目については合意に達しなかつたために和解成立に至らなかつたものである。なお、現地和解のため準備裁判官、被告県収用委員会及び日本道路公団関係者らが原告方に一度ならず出張したし、また、和解接衝の場が日本道路公団本部所在地である東京都港区新橋一丁目一番一三号の公団会議室において持たれたこともあつた。

原審の事実経過は右の通りであつて、準備手続における和解接衝の事実と経過は、本件が一面において本件収用裁決における損失補償の原因たる損失の認定をめぐつて争われてきたことを明瞭に示しており、右の点を重要テーマにして右の者らがその当事者として行動してきたものである。

5 以上のとおり、本件においては裁決の違法事由と損失認定の誤りとは互いに密接に関連し合い表裏一体をなしているのであつて、原告がその双方の違法・不当を主張していることは明らかである。

第二原決定には訴訟手続の違背があり破棄を免れない。

一 原決定が「併合許可」の申立を却下したことは違法であることについては抗告状抗告の理由三項で述べたとおりであるが、そもそも行政事件訴訟法一九条一項によつて「取消訴訟の口頭弁論の終結に至るまで、関連請求に係る訴えをこれに併合して提起することができる」と明確に法定されているのであり、関連請求の訴が取消訴訟の係属している当該受訴裁判所に提起されれば、その請求は法律上当然に同一訴訟手続に係属するのであつて、別途に受訴裁判所の併合決定を要するものでないことは明らかであり、抗告人(原告)も決して「併合許可の決定」を求めたものではない。

また、原決定の「併合許可申立を却下する」旨の裁判が、実質的には弁論を分離する趣旨の決定であると解したとしても、やはり違法性は払拭できない。すなわち、数個の請求が選択的併合の場合であつても、各請求についての訴訟終了は相関連し、かつ同時的であり、各別に終結させることは不可能であるから、弁論の分離はできないとされているのである。まして、本件のように順位的(予備的)併合においては、各請求がすべて主位・副位の関係で結びつけられており、その手続的な関連の度合が選択的併合の場合よりもさらに高度であるから、弁論の分離は不可能なのである(法律実務講座民事訴訟編第二巻第一審手続(1)一六四~一六五頁)

二 原決定は、口頭弁論を経ずになされている違法があり、この点からも取り消しを免れない。

すなわち、抗告人(原告)が本件訴訟においてなした損失補償の予備的申立は、いわゆる追加的併合であつて、これが訴の変更の場合であることは明らかである。しかして、訴の変更についての争いは口頭弁論を経て裁判されるべきであり(同旨、菊井維大「訴の変更」民事訴訟法講座第一巻二〇九頁、前掲法律実務講座第二巻二二七~二二九頁、細野・要義二五三頁)、異説を見ない。

したがつて、準備手続において訴の変更の当否について争いがあるときは、そのまま新旧両訴について争点を整理して口頭弁論へ送るか、または変更の当否の裁判をうるため受訴裁判所の口頭弁論を開始して裁判すべきである(前掲法律実務講座第二巻二二九頁注(二)、細野・要義二六九頁、中島・日民訴一二三六頁)。

しかるに、原審裁判所は抗告人(原告)が訴変更の書面を本件訴訟事件の準備手続期日に提出するや、一度も口頭弁論期日を開かずに準備手続進行中にいきなり原決定をなしたものであり、明らかに訴訟手続に違背している違法の裁判であり、取消さるべきである。なお、本件訴訟においては前後を通じて一度も口頭弁論期日は開かれていない。

和解案(要旨)

一 日本道路公団(以下公団という)は、浄久寺所有の別紙第一図面赤色で表示した部分の土地を適正価格(鐘桜、石垣、墓地および植木などの移転費を含む)で買い上げること。

二 公団は、別紙第一図面茶色で表示した部分を、浄久寺本堂および庫裡などの移転敷地として造成すること。

三 公団は、現存する浄久寺本堂を、別紙第一図面赤斜線部分に移転するために要する費用を補償すること。

四 公団は、別紙第二図面紫色で表示した道路側端A―B地点間に、高さ二メートルの騒音遮蔽板を設置すること。

五 公団は、別紙第三図面赤色で表示した部分に、参道付替工事および中央自動車道に沿つた側道を設置すること。

公団は、同図面黄色で表示した部分に、石段を設置すること。

ただし、右各道路および石段の幅員は、いずれも四メートルとする。

和解案の理由

一 和解案一項について

(1) 土地収用法第七六条。

(2) 長野県規則第八一号(別添)。

(3) 別紙第二図面のとおり、中央自動車道より五〇メートルないしそれ以上にわたる区域の買上げ・収用例が近隣にあること。

(4) 昭和四九年四月一〇日建設省都市局長・道路局長通達都計発第四四号道政発第三〇号(道路環境保全のための道路用地の取得および管理に関する基準について)

二 同二ないし四項について

(1) 中央自動車道が計画どおり新設された場合、浄久寺本堂の現在位置は、右車道から五〇メートル以内に完全に接することになり、寺院としてその教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成することが、自動車の騒音・排気などにより到底不可能になること。

(2) 阿知村の村民を檀家とする浄久寺は、村民の信仰の対象であるので、それにふさわしく本堂その他寺院の眺望などにつき従前の規模・形態をできるだけ保持する必要があること。

(3) 放生池、付随建物その他植木などを移転する境内地を確保する必要があること。

(4) 中央自動車道完成後には、造成および設置の工事が著しく困難になること。

三 同五項について

(1) 参道の確保。

(2) 側道新設による地域住民の便宜。

(3) 中央自動車道完成後は、参道・側道および石段の工事が困難になること。

(図面及び写真省略)

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